「結果」と「プロセス」
何にしても「結果」だけを重視するような傾向がないでしょうか?
例えば、私達が遭遇した「医療過誤」について、『「結果」が悪ければ、訴えられる』という医療側の言葉とか。
すべてについて、0もなければ100もないけれども、人のやることだからミスもあるでしょう。
「結果」のみの判断で、訴訟になることは、本当はないはずなんです。
ただ、医療過誤裁判は専門性の高いもの。弁護士さんの中で、医療過誤裁判の経験がなく、中身を検討する力や協力医がなくて、「結果のみ」で訴訟するというケースはあると思います。これでは医療側から「結果が悪ければ裁判」と言われても仕方がないかもしれません。
ただ、このようなケースだけを取り上げて、「結果が悪ければ裁判」と言わないでいただきたいです。多くは、きちんと内容を検討されてるはずなのです。
ただ、検証することなく、また協力医がない状況で、訴訟に発展するということでは、これでは患者側にとっても、弁護過誤になるくらいのものです。どちらにとってもよくありません。
「医療過誤」について記載しましたが、「結果」だけでなく、その「プロセス」が大事だと思います。
私達のケースでは、その「結果」となった「プロセス」が問題であった、と話し合いの中でも追求していますが、相手側は否定し、「原因がわからない」という方向で話をまとめようとしました。話の中では、知りえなかった出来事が、裁判の中で次々と出てきたこともありました。
物事には、よりよい結果を得るためには、そのプロセスが大事だと思います。
苦労した分、よい結果を得られたことは忘れることはありません。でも、努力をしなくて得たよい結果というのは、忘れてしまいます。
子供達には、親が「結果」を求めるだけでなく、「プロセス(つまり、練習や勉強など)」が大事であることを教えていかなければならないなあ。
ミーちゃんは、母の行動をしっかり見ている(見られている?)ので、私がその行動(練習や勉強)をする姿を見せなければいけません。
ミーちゃんは私達が医療過誤裁判元原告だということは、よく理解はできていません。が、1Fの部屋に医療に関する本がたくさんあるので、ルーちゃんのことでたくさん戦った、ということは理解できているようです。
よいお手本を見せることはできないだろうとは思いますが、努力する姿は見せていきたい、と思います。
by かったん
例えば、私達が遭遇した「医療過誤」について、『「結果」が悪ければ、訴えられる』という医療側の言葉とか。
すべてについて、0もなければ100もないけれども、人のやることだからミスもあるでしょう。
「結果」のみの判断で、訴訟になることは、本当はないはずなんです。
ただ、医療過誤裁判は専門性の高いもの。弁護士さんの中で、医療過誤裁判の経験がなく、中身を検討する力や協力医がなくて、「結果のみ」で訴訟するというケースはあると思います。これでは医療側から「結果が悪ければ裁判」と言われても仕方がないかもしれません。
ただ、このようなケースだけを取り上げて、「結果が悪ければ裁判」と言わないでいただきたいです。多くは、きちんと内容を検討されてるはずなのです。
ただ、検証することなく、また協力医がない状況で、訴訟に発展するということでは、これでは患者側にとっても、弁護過誤になるくらいのものです。どちらにとってもよくありません。
「医療過誤」について記載しましたが、「結果」だけでなく、その「プロセス」が大事だと思います。
私達のケースでは、その「結果」となった「プロセス」が問題であった、と話し合いの中でも追求していますが、相手側は否定し、「原因がわからない」という方向で話をまとめようとしました。話の中では、知りえなかった出来事が、裁判の中で次々と出てきたこともありました。
物事には、よりよい結果を得るためには、そのプロセスが大事だと思います。
苦労した分、よい結果を得られたことは忘れることはありません。でも、努力をしなくて得たよい結果というのは、忘れてしまいます。
子供達には、親が「結果」を求めるだけでなく、「プロセス(つまり、練習や勉強など)」が大事であることを教えていかなければならないなあ。
ミーちゃんは、母の行動をしっかり見ている(見られている?)ので、私がその行動(練習や勉強)をする姿を見せなければいけません。
ミーちゃんは私達が医療過誤裁判元原告だということは、よく理解はできていません。が、1Fの部屋に医療に関する本がたくさんあるので、ルーちゃんのことでたくさん戦った、ということは理解できているようです。
よいお手本を見せることはできないだろうとは思いますが、努力する姿は見せていきたい、と思います。
by かったん
by rumina2004
| 2010-04-02 06:41
| 日記