[川崎病]ミーちゃんの川崎病闘病記(発病) その5
ミーちゃんの川崎病闘病記その5(原文では「その4」)を転載
2002年08月13日 (火) ミーちゃんの闘病日記その4
大量投与第二クール当日。さすがに熱も40度を超えることはなくなった。早速、第二クールの開始。血液製剤を大量投与することに不安はあったけど、仕方ない。
第二クール1日目、無事にアナフィラキシーを起こすことなくすんだ。
ちょっとずつだが、顔のむくみや手足のむくみが取れてきたような気がする。というか、そう思いたい。今回で効果が表れければ、ステロイドの投与になるから。
1日目は、特に何か効果が見られたわけでもないが、ちょっとずつ熱も下がってきたような気がする。
2日目、この日が最後の投与。副作用も起こすことなく、無事投与終了。これで、免疫グロブリンは終わり。さて、これから効果が現れるか。
翌日、主治医から炎症反応が下がっていればいいんだけど・・・と言われていたのだが、血液検査の結果、ようやく炎症反応が下がりつつあることがわかった。やっと効果が現れてきた。本当によかった・・・
主治医や看護婦さんたちも手をたたいて喜んでくださった。看護婦さんなんて、小躍りしながらミーちゃんをなでなでしてくれた。何かうれしくなった気分。ここまで喜んでくれるとは思わなかった。ルーちゃんのことがあってから、完全な医療不信に陥っていたけど、ミーちゃんの今回の医療で、少しだけ医療不信が拭えたかな?
やっぱり、こちらの言っていることをきちんと聞いてくれたことが、うれしかったし、一緒に治療しているというかこちらからは、ミーちゃんの様子などをきちんと伝えて、医療側はそれに沿った治療をしてくれた。それが、お互い協力しあった感じがして、いい治療ができたと思う。インフォームドコンセントもよかったし。しっかりと考えさせてくれる説明だった。
その後、熱も出ず、炎症反応も治まって、1週間ほどで寛解状態になった。後の1週間は、心臓に後遺症が残らないか(急性期5日から2週間が冠動脈に後遺症を残しやすい)経過観察入院になった。
ミーちゃんは、自分が元気になるといろいろと動き回りたいようで、病室にこもっていることがストレスがたまっていたようだ。時折、広い待合室(病棟の)に連れて行って、ソファーで這い這いをさせて、気分転換をしたり、新生児室の赤ちゃんを見に行ったりした。ずっと二人きりの生活が2週間続いたので、すっかりミーちゃんはかったんから離れなくなってしまっていた。さて、これからの保育園生活はどうすべきかな?
というところで、ミーちゃんの闘病日記は終わり。
by かったん
2002年08月13日 (火) ミーちゃんの闘病日記その4
大量投与第二クール当日。さすがに熱も40度を超えることはなくなった。早速、第二クールの開始。血液製剤を大量投与することに不安はあったけど、仕方ない。
第二クール1日目、無事にアナフィラキシーを起こすことなくすんだ。
ちょっとずつだが、顔のむくみや手足のむくみが取れてきたような気がする。というか、そう思いたい。今回で効果が表れければ、ステロイドの投与になるから。
1日目は、特に何か効果が見られたわけでもないが、ちょっとずつ熱も下がってきたような気がする。
2日目、この日が最後の投与。副作用も起こすことなく、無事投与終了。これで、免疫グロブリンは終わり。さて、これから効果が現れるか。
翌日、主治医から炎症反応が下がっていればいいんだけど・・・と言われていたのだが、血液検査の結果、ようやく炎症反応が下がりつつあることがわかった。やっと効果が現れてきた。本当によかった・・・
主治医や看護婦さんたちも手をたたいて喜んでくださった。看護婦さんなんて、小躍りしながらミーちゃんをなでなでしてくれた。何かうれしくなった気分。ここまで喜んでくれるとは思わなかった。ルーちゃんのことがあってから、完全な医療不信に陥っていたけど、ミーちゃんの今回の医療で、少しだけ医療不信が拭えたかな?
やっぱり、こちらの言っていることをきちんと聞いてくれたことが、うれしかったし、一緒に治療しているというかこちらからは、ミーちゃんの様子などをきちんと伝えて、医療側はそれに沿った治療をしてくれた。それが、お互い協力しあった感じがして、いい治療ができたと思う。インフォームドコンセントもよかったし。しっかりと考えさせてくれる説明だった。
その後、熱も出ず、炎症反応も治まって、1週間ほどで寛解状態になった。後の1週間は、心臓に後遺症が残らないか(急性期5日から2週間が冠動脈に後遺症を残しやすい)経過観察入院になった。
ミーちゃんは、自分が元気になるといろいろと動き回りたいようで、病室にこもっていることがストレスがたまっていたようだ。時折、広い待合室(病棟の)に連れて行って、ソファーで這い這いをさせて、気分転換をしたり、新生児室の赤ちゃんを見に行ったりした。ずっと二人きりの生活が2週間続いたので、すっかりミーちゃんはかったんから離れなくなってしまっていた。さて、これからの保育園生活はどうすべきかな?
というところで、ミーちゃんの闘病日記は終わり。
by かったん
by rumina2004
| 2005-03-06 20:25
| 川崎病